ロバート・コバヤシ
ロバート・コバヤシのティン・アート
Robert Kobayashi
30年前ある日突然廃材がアーティスト魂を揺り起こした
知り合いに「変わったアーティストに会って話が聞きたいの」と聞くと、すぐさま答えが返ってきた。
「ダウンタウンの"ティンアート"が素晴らしいよ。コービーに会いに行けば?」と数人のアーティストに言われた。
"ティンアート"ってなんだろう?
教えてもらった番地の前に立つと “Moe’s Meat Market” (モエの肉屋)と書かれたショーウィンドーがあった。 ノックして入ると出迎えてくれたのはコービーと、奥さんのケイトの笑顔。 そして壁にかけられた数々の天井や内装用のブリキがずらり。 あるものは波打っていたり、型で押した模様が浮かんでいる。 ペンチにのこぎり。 一見大工さんの工房のようだ。その奥に一歩踏み入れると、自然光の入るギャラリースペースがあった。
これが"ティンアート"か…ペインティングと彫刻の間にある、立体的な点描画、というか線画。 そこに日常生活の一つのシーンが、額縁の中に息づいていた。 果物、マグカップ、花瓶、草花、女性、その形と影、透明感や重さまで、見ていて感じ取れるのだ。
毎日見つめているけれど見逃してしまいがちな、身近なモノたち。
©Robert Kobayashi 草と風と空の連作。何枚も続くシリーズなのだ
水色やうすい若草色、白やグレーにペイントし細く切ったブリキの帯を、小さな釘で止めてゆくのだそうだ。 その下は木だという。 ただひたすらにそれを繰り返す。 材料は街や、倉庫の隅で捨てられていたモノばかりだ。
近所の大人も子供も 「ハイ、コービー!, これで何か作れる?」ってビールや、クッキー、ピーナツの空き缶を集めては持ってくるようになった。
コービーはハワイの日系3世だ。もともとは美しい色彩が特徴の点描画の画家だった。作家活動をしながらMOMA(近代美術館)で働いていたこともある。
ある日妻に「鏡のフレームを買ってきてね」と頼まれどうしたものかと立ちつくしていたら、目にとまったのはボンドの缶、次に薬品の黄色い缶とコーラの赤い缶だった。次々とそれらを細く切って木の額縁に巻きつけてみたら、ストライプになった。
「結構いけてる」。
同じ方法でいくつもの額縁を造ると次は抽象画、そして立体の彫刻を次々に造った。そこには、もうやめられない止まらない気持ちがあふれ出ている。
©Robert Kobayashi
これは立体作品。この角度がすごい!
1949年、画家として発表をはじめて以来、今日ではMOMA、ブルックリンミュージアム、マイクロソフトアートコレクション等の所蔵、数え切れないほどの"ティンアート"の展覧会が開かれ、“モエの肉屋”が絵本になった。ダウンタウンで彼を知らない者はいないのだ。
「僕の作品はファイン・アートじゃないよ。日本人は建築にしても絵にしても、庭にしても寸分のすきもないモノが好きでしょう?」と恥らうようにそっとつぶやいた。
©Robert Kobayashi
ブリキという堅い鋭い材質で、こんなに静かな絵を作り出せるなんて
彼がある日思い立ってブリキを手にした途端、1本1本の細いブリキを釘でとめてゆく角度に命が吹き込まれていった。その素朴さとおおらかさは、私が大好きなニューヨークのMOMAの隣、フォークアート・ミュージアムの展示作品を連想させる。 生きることに精一杯で、一日の仕事が終わってから家族と会話し身近な材料を駆使して何か造りたい衝動にかられ、作品を残した無名のフロンティアたち。開拓の苦労を背景に持ちながらも生きる楽しさを時空を超えて私たちに教えてくれた。
私はコービーの作品の中にも共通した何かを感じた。静かに額縁の中におさまっていたのは、生きる力と楽しさ、躍動感と、材料を吟味して造ることへの歓びだった。
バイオグラフィー
1946-1948 ホノルルアートスクール
1949 ブルックリンミュージアムアートスクール
1950 パリにて絵を学ぶ
1960 日本にて絵を学ぶ
1961 ギマズギャラリー(ホノルル)にて個展
1981 ジョセフギャラリー(N.Y.)にて個展
1982 スコッツデール(アリゾナ)にて個展
1987 ローズランド(ニュージャージー)にて個展
その他多数のグループ展を開催し、賞を受賞
ブルックリンミュージアム、The MOMA、プルーデンシャル(ニューアーク)他所蔵
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